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2009年8月 5日 (水)

北大大学院調査隊

 恒例になっている、北海道大学大学院 宮内教授による 「北上町調査」 がこの8月2日~4日の日程で行われた。教授一行は今年は相川地区を調査ということで、私は院生のTさんだけを、案内する事となった。

 2日は川開き見物に案内したことは、先のブログにUPしている。

 今回の聞き取りの相手は、宮城県自然保護員 佐々木茂美さん(ほたる会実行委員)。
今野昭彦さん。曾呂美自然農場主(新古里村 ほたる会会長)。それに茅葺き会社 スズキ産業鈴木嘉悦郎社長(ほたる会副会長)。

 予定していた佐々木多美子さん(元釣石会会長)。佐藤富貴子さん(同会員)は今が ミョウガの収穫真っ最中ということで、次回の調査となった。

 3日午前は予定が空いたので、丁度、大沢川アサザワンド で行われていた、小中学校の 理科の教師によるワンド観察とカヌー体験会を案内する。
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 先生方の取りまとめ役は 渋谷雄二郎先生(飯野川第二小教諭)。ワンドの植物説明は 自然保護員佐々木茂美さん。
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カヌー体験指導は NPOひたかみ水の里新井偉夫代表、武山芳夫さんなど。
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ブログに載せますよと言うと、差し支えないという了解をいただいた。
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大沢川が月浜第2水門から北上川に注ぐ護岸には、釣り人の姿が多い。

 実は朝に 隣に住む義兄の 大槻宏さんが、珍しい生き物を持って現れた。裏山の裾にある井戸替えをしたところ、 トウホクサンショウウオ の幼生が多数見つかったという。
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井戸は裏山からの湧水が貯留する自然の岩井戸である。洗車など雑用水に使用している。深さは1,5m位で水深は80CM程度。
サンショウウオの親は見えない。これは、昨年も親の姿はなかった。
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一頭だけ腹が膨れているが、餌を飲み込んだところかも知れない。(共食いもするらしい)
渋谷先生は、自宅でトウホクサンショウウオの成体を飼育しているという話なので、研究用に差し上げる。飼育の結果を知らせていただくようにお願いをする。

 実は渋谷先生は私の家内とは 従兄弟に近い関係にある。私もお名前だけは存じているが、今回が初対面である。私たちのほたる会会員にもなっている。
 これからは、色々教えていただけそうで、楽しみである。

 曾呂美自然農場 今野昭彦さん 過去記事
http://asihara56.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_bf6f.html







2008年3月 2日 (日)

北大大学院 調査終了

 この一週間、調査隊の案内や、思わぬ来客など、それに事件まで発生して、本当に忙しい日々を送った。知り合いの方から、随分車のスピードが出ていましたね、と忠告をされる。それはまったくその通りなので、深く反省をしている。
 昨日の午前は、釣石神社において、河北警察署の刑事さん3名の現場検証に立ち会う。錠前の吟味だけでは防ぎきれないことが分かったので、何らかの警報装置の導入を検討することになった。

 この一週間で書ききれなかった記事を一つ。
 大崎タイムスを持参して 追分温泉を訪ねてきたお客さんがあったことは、既に記しているが、どんな記事なのか 大崎タイムス社に問い合わせてみると、石巻日日新聞からの転載という形で紹介しているので、元記事は 石巻日日新聞に載っているとの返事。取りあえずその記事の載った新聞を一部送って頂くことになった。
 それから、石巻日日新聞社に電話をして、当日の新聞の存否を訊ねると、数部あるというので、日々新聞社を訪ねる。こちらには、持ち合わせていた 『釣石大吉せんべい』 を、社員の皆さんにPR用に配って頂く。
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アボヘボ飾り付けの日に、『釣石大吉せんべい』 も取り上げて頂いたようですが、この石巻日日新聞 は、旧市部が配達エリアということもあって、地元の人は誰一人見たものはいなっかたようである。
 大崎タイムス社からは、一部郵送して頂いたので、こちらにもお礼に 、『釣石大吉せんべい を送らせていただきます。

 石巻日日新聞社
石巻市双葉町8番17号
 TEL 0225-95-5231
http://www.hibishinbun.com/
日日ネット

 大崎タイムス社
 http://www.osakitimes.com/R/index2.html
 大崎市古川駅前大通五丁目3番23号
 TEL 0229-22-2181

2008年3月 1日 (土)

曾呂美自然農場 今野昭彦さん

 (北大大学院調査の続)
 昨日は、橋浦本地の 今野昭彦さん(別名 今野吾彦さん)宅を訪問する。私は皆さんより一足早く着いて、鶏舎を見せて頂き、先輩の話をお聞きする。鶏舎に入って驚いたのはまったく鶏糞の匂いがしないことであった。現在は170羽ほど飼育しているそうです。
 2時前に先生が到着したので、自宅で話を伺う。
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今野さんは北上町で唯一の自然農法実践家であり、冬季湛水・不耕起栽培と、自然養鶏卵に取り組んでいる。鶏種は 『ゴトウもみじ』 という鶏らしい。
 『ゴトウもみじ』 については後藤孵卵場 のHPより
 http://www.gotonohiyoko.co.jp/

 「全国自然養鶏会」 に加入しており、その東北ブロックで、機関誌『鶏声』 の編集係りを担当しているというので、その機関誌を拝借して紹介してみる。
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 こうした仲間との交流を通して、様々な技術的な問題や、こころ構えなどの研鑽を積み重ねて行くことが、大事なのでしょうね。今野さんも地元で初めてこんな話をしたといって、今回の調査を非常に喜んで頂いたようで、紹介した私も鼻が高い。
 特に、北大大学院の 武中さんは 栗原市田尻での 『冬みず田んぼ』 の調査にも取り組んでいるので、北上で今野さんのような方の話を聞けて、興味津々といったところであろう。

新たな取組みとして 「ホタルの居る田んぼを創る会」 を設立したいというお話なので、紹介してみる。
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今野さんの自宅。
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明り取りの 「そら窓」 
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 わが実家も屋根こそ茅葺きであるが、内部の様子はまったく同じである。懐かしい思いで一杯であった。

 ところで、橋浦本地 ソロミ の地名の由来については、太宰幸子さんの記事を紹介しておく。
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ソロミについては、地元のシングソングライター渋谷修治さんが、 「曾呂美山」 という楽曲を作っている。二十数年前のことであるが、その唯一の録音テープが私の手元にある。
そろみの里にホタルが舞い飛ぶようになったならば、この唄がテーマソングとして脚光を浴びるのではないかと思っている。
曾呂美自然農場のHPが開けないので、画像として紹介しておく。
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http://www.geocities.co.jp/AnimalPark-Lucky/8354/

全国自然養鶏会HP
http://shizenran.jp/

2008年2月29日 (金)

追波 丸山家 聞き取り

 昨日は、大忙しの一日であった。先ず、北大大学院調査隊の3名を地元追波の旧家佐々木家(通称丸山家)へ案内をする。当日朝の調査お願いであったが、快く応じて頂き感謝している。
 丸山家の来歴についてはいずれ項を設けて紹介してみる。
昨日の調査の記念写真
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佐々木家当主の末雄さんと奥さんの千代子さん、おばあさんのキミコさん。(大正10年生まれ)
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調査は北大大学院生の武中さん、仁平さん。東北学院大学金菱准教授。
 佐々木キミコさんは、かつて 東北学院大学 斉藤善之ゼミ の卒業研究調査報告書(2003年度)にも取り上げられている。
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丸山家文書には、塩田開発のこと、ヨシのことなど、興味深いものが一杯詰まった、地域の宝物である。

 私は話の途中で スズキ産業鈴木嘉悦郎社長からの電話で、スズキ産業の事務所に伺う。待っていたのは 北上町で唯一の自然農法家 今野昭彦さんであった。今野さんは橋浦本地ソロミで自然農法に取り組んでいる。私の実家も近所であったから、小さい頃はよく遊んで貰ったものである。一年先輩であり、お宅にもよく遊びに行った記憶がある。
 ソロミに 『ホタルの居る田んぼを創る会』 を立ち上げたいから協力して欲しいとの話であった。私は即座に賛同して協力を約す。その時閃いたことがあった。明日の調査の一件にこの今野さんを入れてみようという目論見である。

2008年2月28日 (木)

北大大学院 調査隊

 恒例の北海道大学大学院 宮内教室の 北上調査隊 が25日から一週間の予定で調査に入った。宿泊は例によって 峠の宿 追分温泉 である。
 昨夜は、町内の若手の方たちとの懇親会が、 追分温泉で開催された。
 私もブログ取材のために招かれたので、参加する。
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将来の北上を背負って立つような錚々たるメンバーである。
メンバーは 米工房 大内産業 大内弘さん、サヤマ食品 佐藤健悦さん、月浜大上屋商店 佐々木正人さん、白浜民宿 しばやさん、 相川 コスモスセイコー遠藤さん。
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カメラを構えているのが宮内先生。他は大学院生の皆さんである。
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 私の聞き取りは、 釣石大吉せんべい 考案の経緯についてである。前回の調査では ヨシ門松 の考案製作、今度は 釣石神社名物お土産 釣石大吉せんべい である。何がどうなっているのかという不思議な気持ちなのでしょう。
 皆さんは不思議がるが、私にとっては実に単純な一本道の、なるべくしてなったという出遭いの結果である。
 話は、追分温泉 で買い求めた ヨシの紙に押された焼印のハガキから始まる。製作者は 『杜の焼版工房』 とか何とかなっている。ネットで調べてみると、仙台の瀬川満夫さんという方である。早速電話を入れて、工房を訪問すると、そこで、 『憲法9条せんべい』 に出遭った。初対面にも係らず、話は延々と2時間以上にも及んでしまった。
 そこで、瀬川さんが 釣石神社 大吉せんべい の焼印を製作し、、『憲法9条せんべい』を製造している、仙台宮町の 小萩堂 で焼かせると言うところまで話は一気に進んでしまった。そこからは私の仙台詣が始まった。2月10日には地元の公民館でのデビューとなった次第である。思えば、人の縁とは不思議なものだとつくづく思う。

 今日の 石巻かほく 紙 ”水紋” 欄で、サンファン館へ東京の画家の方から絵画が寄贈されたことに寄せて、バリアフリーの精神について述べられている。

 実は合併のメリットが出るも出ないもバリアフリーがキーワードだと思っている。旧市部と旧町部にバリアーはないのか? 職員間に、市民間に、議員間にバリアーはないのか?。

 もう直ぐ、合併三周年の式典が執り行われようとしているが、市民間にバリアーが存続する間は、合併の効果を実感することは出来ないだろうと私は思っている。官が主役ではなかろう、民間がバリアーを取り払って、地域間の交流を推し進め、地域振興に取り組まない限りは、真の石巻の発展はあり得ないと考えている。

 私がバリアー意識を持っていたならば、憲法9条を守る会の瀬川さんの懐に飛び込むことは出来なかったであろう。現に私の身近にも共産党と聞いただけでレッテルを貼るという人はいる。
 そういう意味では、 この 『釣石大吉せんべい』 の誕生はまさにバリアフリーの精神の賜物と言えるであろう。

2007年9月 1日 (土)

北大大学院・宮内研究室

 31日の 石巻かほく トップに 北上町の調査報告書の話題が大きく取り上げられている。今年は旧河北町の長面(ながつら)地区まで足を延ばして調査をされた。新たな成果があった様子です。
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 記事と、昨年の私の 「つつじ野」 随筆。
 佐藤健児元北上町長さんのことは、私も幾度か取り上げているが、昨年の星編集長の  ”水紋” が見つかったのでUPしてみる。
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 この”水紋”は、石巻かほく 紙 記者さん専用の囲み記事で、取材の裏側を知る意味で楽しみに読んでいる。
 2枚目は、大沢川と、わが家の両親のことなど。これが最終回であったが、自分の義父母を”ヨイショ”して、それで罪滅ぼしの積もりかとの噂も小耳に挟んだが、決してそんな見え透いたことではありませんよ!

 尚、長面地区の調査の様子は、東北学院大学准教授 金菱清先生のブログに写真入りで紹介されている。
  http://www.soms9005.com/

宮内先生のHP
 http://miya.let.hokudai.ac.jp/xoops/index.php
  ここから、そこそこブログへアクセス。

 関連記事 カテゴリー 北上調査隊

今日の北上川とヨシ原
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 ベッコウシジミの採取舟。
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 新北上大橋たもとの 「北上水辺センター」とその前の船着場
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 新北上大橋下流側のヨシ原と水路
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 新北上大橋は補強工事中です。片側交互通行にご協力を。

 

2007年8月21日 (火)

佐藤清吾 県漁連 十三浜支所長

 今日は、午後2時から、北大大学院の調査隊一行を佐藤清吾さん宅に案内する。佐藤さんは、この3月末までは十三浜漁業協同組合組合長として、まさに東奔西走の活躍ぶりであったが、4月からは 宮城県漁業協同組合 十三浜支所運営委員会 委員長 として相変わらずお忙しい日々を送っている。
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 石巻市文化協会の北上支部長でもある。
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 聞き取り調査は4時過ぎまで続いて、私は一行とは別れて漁協にあるという潜水具を撮影するために、漁協事務所を訪ねる。来意を告げると、忙しいのだがといいつつも、漁港の船まで案内してくれる。
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 随分年代物の潜水具に見える。

 地元にも潜水士はいるが、現在は北海道の方を大金でお願いしているとのこと。潜水作業の様子を見せて貰えないかと頼んでみたが、朝7時出港~午後3時までの作業だから乗船は無理でしょうと断られる。

 佐藤清吾さんには、帰り際に 須藤洋平さんのフジテレビ スーパーニュース を録画したVHSテープを差し上げる。佐藤さんは須藤洋平さんのお父さんとは従兄同士にあたる。

 佐藤清吾さん関連記事 6/7

宮城県業業協同組合としてのHPは未だ、立ち上がっていないようですので、
 宮城県漁連HPを参考にUPしておきます。
 http://www.jf-net.ne.jp/mggyoren/

2007年8月18日 (土)

宮内泰介研究室 調査報告書

 今朝、勤務明けで自宅に戻ったところ、北大大学院文学研究科 宮内泰介研究室 の《聞き書き》 「北上川河口地域の人と暮らし」 ―宮城県石巻市北上町に生きる― が届いていた。
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 この調査の経緯は あとがき に詳しい
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 鈴木民雄さんは、長い間 旧 北上農協の組合長さんをなされた。スズキ産業 鈴木嘉悦郎さんの父上である。私も公私に亘ってお世話になっている。
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 佐藤健児さんは、最後の北上町長であり、この無くなる北上町を 『北上町史』として永久に残してくれたその先見の明に、私は大きな拍手を送りたい。宮内先生も あとがき で書いているが、記録が無いものは、無かったことにされてしまう。
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舘岡英志さん、武山武志さんには、人生の先輩と心から敬服している。
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最後にわが家の父(養父)である。農家としても人間としても私などは足元にも及ばないが、それはそれで赦していただいている。こんな好き勝手なことが出来るのも、家族のお陰である。ただ感謝あるのみである。

 ところで、北大の皆さんは既に北上町入りをされていて、追分温泉に宿泊中であり、わが家には明日午前に見えることになっている。
 午後はその内の二人、金菱清先生(東北学院大准教授)と院生の武中さんを、三國裕子さんのミュージカルに案内する予定である。(遊楽館)
 さて、その後どうしようかと考えていたら、浮かんだ。零羊崎(ひつじさき)神社があった。櫻谷先生、明日はどうですかね?

 北海道大学大学院
    http://miya.let.hokudai.ac.jp/

         金菱清先生のHP
   http://soms9005.com/

 

2007年2月15日 (木)

北大調査隊

 今回の石巻市北上町の調査も四日目、金華山に案内する予定であったが、風雨のため果たせず、急遽、かほく・上品の郷 の太田駅長さんに電話を入れたところ、お忙しいなかを、快く取材に応じていただいた。武中さんも非常に感激してくれたし、私もお役に立ててこんな嬉しいことはない。
 先日、未知倶楽部の情報大賞で、全国ナンバー3に選ばれて、情報の発信力に改めて驚嘆の念を禁じえない。石巻市の観光協会にも是非見習って欲しいと思う。情報化時代、インターネットの時代といわれて久しいが、まだまだ遅れている。HP、ブログの類もあるにはあるが、何か仲間内の情報交換の場だけで、石巻の魅力を全世界に知らしめようという気概が希薄に感じられる。
 太田駅長さんの言われるとおり、自分の足元の良さを、自ら発見して、誇りをもって世界に発信する姿勢が必要だと思う。次代を背負う子供達がそれを見て育てば、必ずや地域に根ざした目線で、地域に自信をもって世の中に巣立っていけると思うし、そうあって欲しいと思う。
 写真は、太田駅長さんのお話を伺う様子です。
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 取材後、レストランにて二人はバイキング、私はシジミラーメンを頂く。道の駅でのバイキングも珍しい。
 午後は、東松島市矢本のアマチュア写真家 菊池泳さんを訪ねる。その30年前のヨシ原の写真を拝見するためである。私のHPにも是非使わせて頂きたいと思っている。
 その、写真は、後ほどUPする予定です。(画像クリックで拡大)

2007年1月20日 (土)

北上町調査隊(下)

  平成18年9月23日 石巻河北 「つつじ野」 第十三回

北大大学院宮内泰介教授の研究室による北上町調査について、なぜ北上町なのかと教授に尋ねた。

 まず日本一とも言われるヨシ原の存在。そして、海あり、山あり、川ありと、小さな区域で農林水産業のすべてを見ることができるからとの返答であった。

 確かに北上町では、その規模が小さいだけに、時代の潮流をまともに浴びて、その盛衰も激しい。薪炭・養蚕・肥育・和牛繁殖経営と、あらゆる農業分野に取り組んできた。年配者には出稼ぎ経験者も多い。

 こうした、さまざまな苦労の積み重ねの上に今、人々は穏やかな表情で人をおもいやる余裕が見て取れる。そうした点が、教授の心をとらえているのだと思う。

 また、教授にとって追分温泉の存在も大きいに違いない。心のこもったもてなしに加えて、六人の院生を従えての長期滞在は費用がかさむ中で、宿泊料金が安いのは魅力であろう。

 八月二十三日には、教授と院生三人が石山潔さんご夫婦のシジミ船に乗るというので、残る三人の院生を田代島に案内した。(シジミ船には全員乗り切れない)。島で民宿を営むおタカさんとの再会は果たしたが、私が四回にわたって本欄に記した田代島へのラブコールは、声を掛けた四人の島民は、視力が落ちて(字が細かすぎて)読んでいないという。そんなこともあろうかと、(予ねて用意していた)拡大したコピーをばらまいてきた。

 その日、シジミ船でも悲劇があった。人が川に落ちた?いやいや、携帯である。最後に引いた鋤簾(じょれん)に、偶然にもその携帯がシジミと一緒に入っていた。石山さんへの教授一行からの礼状には、携帯のメモリーは復元できたとのこと。因みにこのご夫婦が私の「ヨシ原甚句」のモデルである。

 (今、気付いたのだが、何回分かに出所が記されていないものがありますが、同じ体裁の記事はすべて石巻かほく 「つつじ野」の採録であります。

 ヨシ原の面積については、実は正確な測量面積と言うのは存在しません。琵琶湖のヨシ原は西川嘉広先生の「ヨシの文化史」によれば130haとあります。渡良瀬川もかなり広いと思いますが、正確な数字は私には分かりません。岩木川流域のヨシ原が広いとは、スズキ産業社長の指摘です。私の個人的な測地では、北上大堰下流だけで150haと見込んでいますが、岩手、宮城両県にわたる北上川の内、宮城県内の流域と考えると、その数倍にはなるでしょう。また、河川と湖沼の違いもありますね。

 先日、運河交流館の辺見氏とは、是非正確な数値を出そうと話していますが、何とか実現したいものと思っている)

より以前の記事一覧