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2011年3月28日 (月)

追波生存者その2

ブログの管理者の娘です。
昨日、父と震災後初めて北上総合支所に行ってきた。
いつも、母を迎えに行ったり、私の母校があった場所は
この世のものとは、思えない惨状になっていて、父と
言葉を失う。想像していたよりも遥かにひどい。
自然と涙が出てくる。母の遺留品を見つけようと、探そうと
思っていたけれど、それはかなわない夢だった。ここに
あの津波の日、母は最後まで仕事をしていたのかと思うと
何で逃げなかったのという思いに駆られる。職務上仕方の
ないことだけれど、娘は母に生きていて欲しかった。
父と二人、母の職場の席のあたりで合掌する。小学校は、
3階まで大破。3階の壁がなくなって、校舎の後ろの体育館
は骨組みだけ。あり得ない。新しくできたという、消防庁所
も骨組みだけの無残な姿に。防災無線が機能していなかった。
何を恨めばいいのだろう。

父のブログなのに、つい割り込んで書いてしまいました。

先日父がブログにアップした記事を訂正します。
北上中の避難所で無事の確認が取れた人たちです。

佐々木藤一郎さん 民子さん
藤原兵弥さん夫婦
佐藤富貴子さん 嘉信さん
館山寿江さん
佐々木貞子さん 昭さん
以上の方々は無事でした。

父は、お風呂と電気が回復した追分温泉でおじいさんと
一緒に、親切な方の世話になりながら避難しております。
電波が通じない場所ですが、追分に避難している方たち
もみなさん元気です。

2011年3月27日 (日)

FOMAサービス契約

 仙台滞在三日目の昨日は、ブログ掲載のためのノートパソコンの購入と、モバイル通信のためのFOMA契約を結ぶ。
 前日に引き続き 朝9時から ドコモショップ 宮城の萩大通り店 に並ぶ。今回は12番であった。駐車場にはクレープの移動販売車も準備中で、美味しいクレープが食べられそうである。
 契約手続きは順調に進んで、パソコンは Lenovo G560 データ通信端末 L-05A(ドコモ)という構成である
。パソコン設定に一時間位かかるということで、他の用事を済ませることにする。サービスで頂いた、クレープの引換券で、4人(娘夫婦と夏音と私)で美味しいクレープを食べる。食べながら娘が他のお客と話をしている。知り合いなのかと思ったら、実は北上町追波に縁の方であった。津波の話から釣石神社の直ぐ傍に住んでいる、祖父母が亡くなったという。私も話に入って聞くと、それは 館山清松さん、たけ子さんであった。母親の実家がこちらの館山さん方なのであった。
 私が余所のお客さんを釣石神社に案内する時は、いつも庭先に車を停めさせて頂いていた。神社の掃除をいつもしてくれていた。心からご冥福をお祈り致します。

 次の用件は ソフトバンクモバイル通信の解約である。昨年の9月から2年契約であったが、今回の津波で全ての契約記録から機器まで流亡してしまったので、引き落としを停止するために解約を申し込む。モバイル番号がなければ、契約者名と生年月日だけでは解約出来ないというので、一時は険悪な気持ちにもなったが、娘が色々と交渉をした結果、所定の解約金はゼロということで解決する。私自身は天変地異によるものだから、一方的に契約者に負担を強いることは出来ない筈で、損失は双方で折半するのが筋と考えていたが、結局は無償での解約となった。ソフトバンクには感謝をしたい。

 昼食は 皆で 五目中華をいただく。

 沖野の家にも戻って、パソコンの接続を確認する。
 3時過ぎ、秋保温泉の入浴サービスに行く。途中の 清月記 太白店 に立ち寄って、母の遺体に対面する。仙台の火葬場が空くまでここで遺体を保管して頂くことになっている。火葬は4月10日過ぎになりそうである。
 
 秋保温泉で入浴客が大勢、ロビーで静かに順番を待ってる。


(これから娘の車で北上町追分温泉に戻ります。仙台に滞在していた佐々木茂美さん、裕子さん夫妻も北上に戻るので、現地で再会することにする。佐々木さんはかなり詳細な被害者名簿を持っているようなので、入手出来次第このブログにupしたい。それは娘に代理でお願いをすることになるでしょうね。私は当分追分温泉か、北中体育館に滞在予定。佐々木さんの話では、私が重傷で、日赤入院中とか、片足切断などの噂があるらしい。元気な姿を見せなければ!)午前8時30分記

2011年3月25日 (金)

ドコモ携帯 機種変更 

 先般の津波によって流されてしまった携帯を、何とか手に入れなければならないということで、昨日、目星を付けておいた、 ドコモショップ 宮城の萩大通り店 に行ってみる。9時半から先着何名かを受け入れると聞いていたので、9時過ぎに娘の旦那に送られて行く。すでに行列は出来ていて、15番の整理券を貰う。店内で順番を待っていると娘夫婦と夏音がやってくる。
 私は別して機種に拘りはないので、話は殆ど娘に任せる。しかし、防水・防塵機能は欲しいということで、結局
docomo STYLE series F-02C と決定する。色は少し趣を変えて GOLD とする。
 定価は48960円であるが災害時対応でー10000円、ポイント-6800ということで、税込33768円となった。
次いで、父のための携帯を機種変更、こちらは見やすく簡単をモットウに F-07Aセット<ロゼ>25600円を、災害時対応-16300円で、税込9765円。それと、亡くなった家内の番号も暫くは残したいという娘の提案で、こちらは機種なしで、フォーマカードだけを頂く。こうして無事、ケータイ機種変更は追えることが出来た。
 これらの説明の最中にちょっと気になるチラシがあった。モバイル通信契約で、ノートパソコンが無料という案内である。これは密かに心に留めて置く。

 その後、仙台駅東口のヨドバシカメラに行く。先ず昼食ということで、仙台駅を超えて名掛丁の 甚家 で食事。客は結構入っている。ヨドバシカメラに戻って、先ずソフトバンクのモバイル通信のことで、昨年の8月に買ったばかりの 通信機器とあらゆる紙媒体記録が津波で消失したこと。よって解約の手続きをしたいというが、携帯番号が分からないとどうにもならないと言われる。記録が全て消失しているのに番号を云々されてもどうしようも無いので、今後一切の支払いは拒否するからということで、席を立つ。支払い拒否をすれば相手から何とか言ってくるだろう。
 次いで、デジタルカメラの売り場に赴く。デジカメはすべて私の独断と偏見で、カシオエクシリム EX-H30 とする。以前のものより重いというと、電池が一回り大きくなっているという。画素も1610万、これに16GBの装着して撮影準備は完了。これからの災害復旧現場での活躍が期待される。
 本日の買い物はこれにて終了。意気揚々と沖野の家に戻る。
 明日は、また ドコモショップ 宮城の萩大通り店 にならんで、パソコンをゲットすれば全ての目的は達成される。

 夕方になって、携帯から懐かしい声が聞こえてきた。スズキ産業の鈴木嘉悦郎社長である。鈴木さんも新築したばかりの二階建ての事務所も自宅も全て消失した、家族は全員無事といういうこと。母と家内の悔みを述べられる。日曜日には追分に戻る予定なので、再会を約して電話をきる。その後、東北学院大学の 金菱先生からもお悔やみの言葉を頂く。先生からは、今後も災害の記録と発信に期待するとの言葉があって、今後の私の生きる指針になることは間違いないと思われる。
 知り合いや息子夫婦からもメールが届いたりと、今や、ケータイ無しでは完全に世界から取り残されるようである。物質的には全てを失ってしまったが、こうした境遇で得られる強い絆というものも生まれるという事を信じたい。

2011年3月24日 (木)

東日本大震災 津波被災状況

 地震当日の午後、我が家には太陽光発電システムの設置について、業者が屋根の形状などの下見に来ていた。私と両親三人とで庭先で話しているところへ地震である。業者さんも驚いて電話連絡をしている。我が家でこれだけ揺れるということは、余所では倍の揺れだよと話すと、それでは日を改めてという事で業者さんは帰る。
 母が居間にいて食器棚の戸棚の扉が開かないように紐で結んでいる。改めて外に出て、軽トラックを玄関先に上げてラジオで情報を聞く。納屋が倒れてもいいように乗用車2台は庭先に並べて止める。
 この時まで私にも母にも津波という意識は全く無かった。
 私は納屋の2階を点検し、地震そのものによる被害は殆ど無いことを確認する。次いで旧宅にある、私たち夫婦の部屋と私の書斎を点検すると、縁側にある文庫本の本棚が倒れて散乱している。

 その時、縁側から庭先を見ると、車2台が猛スピードで上流側に押し流されて行く。津波だ!!!
旧宅の座敷を駆け抜けて新居の居間に入ると、母が居ない。外を見ると茶の間のサッシの中頃まで水が押し寄せている。旧宅側の扉から一気に水が押し入り、茶の間の天井まで押し上げられて、息が出来ない。海水を飲みこんでこれで終わりかと思ったが、最後の力を振り絞って、出口を探して潜り込む。何とか廊下に出たかと思う間もなく外に押し流される。見れば遠くの堤防の高さと同じである。その時、45坪の旧宅がふわりと浮きあがって漂い流れだした。あの屋根に登れないかと必死に近づこうとするが、漂い流れる木材に阻まれて近づけないので、やむを得ず流木に跨るようにして、前後から押し寄せる木材の山に飲み込まれないように、体を水面に浮かせるようにする。釣石神社に近づくと、岩が屹立している関係で、狭くなっている。水中は渦を巻いているようだが、建物などはつかえてたゆたっている。渦に飲み込まれないように必死に国道398に泳ぎ着く。
 道路に上がって見ると、追波の住宅側はすべて流されて家があちこちに浮かんでいる。国道の路肩まで水は満々と湛えている。釣石神社の前が狭まっているために、水が一気に引き切れないようである。
 一方北上川は津波の第一波がゴーゴーと唸りを上げながら引いているところである。それが膨れ上がったと思ったら、一気に第二波が押し寄せて来る。あれに呑まれたら一たまりも無い。黒く材木も飛んで来る。丁度、二本のガードレールの間に太い角材が鋏込まれた場所を見つけたので、その材木と二本のガードレールとポールで身を守るようにして、ガードレールにしがみ付いて、津波をやり過ごす。第二波が去ってみると、道路の舗装ごとガードレールももぎ取られている。
 兎に角、上流側の新しい水門まで行ってみる。水門の太い柱の陰に隠れるようにして、冷たい欄干に腕を巻きつけて流されないようにする。素足に素手、禿げた頭をむき出して、濡れ鼠の体に一頻り雪も強く降り出した。
 「ああ!ついにここで終わりか?」と思っていると、上流釜谷崎方面から、黙々と近づいてくる一団があった。
  眼鏡は吹き飛ばされているので、顔を見分けることは出来ない。その中の女性が一人、ふらりと言う感じで私に近づいてきた。それは近所に住む佐々木貞子さんであった。
 無言で顔を見合わせたまま、一行の後に付いて行く。どこへ行くのかと目で追って見ていると、丸山橋を渡ろうとしているのであった。しかし橋の上は勿論、北中に上る道路の上もゴーゴーと水が流れている。私の力ではとても渡り切ることは出来そうもない。
 私は冷たい欄干に抱きついたまま、運が良ければ助かるだろう、流されさえしなければ誰かが見つけてくれるだろう、ヘリコプターでも来ないかなー等と思いながら、そんなに甘くは無いとも思え、これが最後かと思いつつ気を失っていったようである。
 目が覚めると心配そうな父の顔があった。どうやら避難所に担ぎ込まれたようである。兎に角歯の根が合わずガタガタと震える。夢うつつの中で、散々悪態を付いていた覚えがある。「こんなバカなことはない」「こんなことは皆嘘だ」「こんなことはあり得ない」思えばこれが悪魔との戦いだったのかも知れない。後で父から聞いた話では「これは夢だ!」が私の第一声だったという。夢であって欲しい。夢であって欲しい。夢であって欲しい。

弐萬圓堂 大和町店 眼鏡新調

 今日は天気も良いし、気分も良いので自転車を借りて、床屋さん、眼鏡さんを探して宮城の萩通りに行って見る。
 床屋さんは一軒目は閉まっていたが、二軒目のお店は営業をしていた。
 HAIR ZONE Story さんで、散髪。髭は二人分位を剃らせてしっまった。まあ、頭の面積は狭いのでドッコイドッコイか?
 七十七銀行や眼鏡屋さん、ドコモショップなどの案内図を書いて頂く。震災被害者だと話すと、励ましの言葉を掛けて頂いた。ありがとうございます。
 道沿いにドコモショップがあったが、店頭の店員さんの話では、本日の契約分の受け付けは終了したという。明日は午前9時半から受け付けるということなので、一番丁まで行くか、そこで済ませるか、娘とも相談してみよう。

 七十七銀行のETMで、取りあえず10万円を準備する。上限10万円と聞いたようなきがしたからそうしたのであるが、実際に制限があったのかどうかは分からない。

 昼になったので、近くのコンビニ デイリーヤマザキ 仙台志波町店 の行列に並ぶ。店から出た人数だけ入店させるという方式であった。後ろに並んだ女性が、昨日は並ばなくても良かったのにという。店内の棚は8割方空っぽであった。その直ぐ隣が弐萬圓堂であることを確認したので、ショップの駐車場に自転車を止めて食事を摂る。

 これまでは眼鏡の専門店しか入ったことがなかったが、勿論、検眼設備などはしっかりしたものである。
私の視力は左が0.01右が0.001と極端にバランスが悪い上に、右目に乱視もあるので、過去、どんなお店でも一日で出来たことはなかった。レンズの在庫が無いのである。ところが今回は違った。両眼で0.8迄の矯正ができた。それに気を良くして、パソコン用の眼鏡まで新調して、8千円のセット割引で36400であった。
 眼鏡が仕上がる間、聴力の検査をお願いして、お勧めの補聴器を装用してみる。フォナック補聴器オーデオミニであったが、流石に聞こえはいい。これでは相当すると思ったら、片耳36万円~25万円ということであった。
 これから葬儀関係でお金が掛かるので、自分の為だけに大金を掛けるのは気が引けるので、今回は見合わせることにする。
 弐萬圓堂 大和町店 コーディネーターの大内さんには大変お世話になった。被災の話をすると目を潤ませながら、何度も頷いてくれた。こんな些細なことでも人は心の痛手を和らげることが出来る。
 4時の予定が3時には仕上がって、寒くなってきたので、急いで沖野の家に戻る。
 眼鏡を掛けた私の顔を見て、孫の夏音も仙台のお父さんお母さんも喜んでくれる。
 温かいお茶を頂いて、ブログの記事をUPする。
 今夜は地震当日の私の行動を記してみたい。

追波地区津波犠牲者

 私が個人的に把握している犠牲者の一覧を表示します。
 行方不明者
 畠山倉雄さん夫婦
 鈴木吉男さん
 佐藤兵太郎さん(佐藤一男さん市職員は無事)
 館山観寿郎さん奥さん  
 佐藤源太郎さん きね子さん、正子さん(北上支所職員)
 館山清松さん、たけ子さん (娘さん、孫さんは無事。孫さんとは仙台で偶然に遇う)
 千葉健良さん(息子の良治さんは無事)
 館山清蔵さん、母親
 佐々木武也さん、まれ子さん
 大槻京子さん(良一さん、綾香ちゃん晃弘君、宏さん、とよさんは無事)
 千葉よしのさん 千葉輝子さん(北上支所職員)千葉信男さん、五郎は軽傷で無事。息子、娘夫婦は無事
 藤原あやえさん、孫さん
 大槻和夫さん(奥さん無事)
 
 佐々木けい子さん(慎一さん、弘隆さん夫婦は無事)
 阿部直志さん
 菊田忠道さん、まつをさん
 藤原盛一さん 
 藤原強さん(水閘門操作員)
 
 藤原兵弥さん 
 斎藤八重子さん 
 これが現在私が避難所で父から聞いた情報です。
 30数名とも聞いているので、これに吉浜小学校での犠牲者が加わるかも知れない。
 学校に残った子供たちは4階まで避難して助かったが、総合支所に避難した子供7人と引率の教師は行方不明という。

 仙台に住む娘の話では、追波の丸山家の婿さん佐々木孝さん(大川小学校勤務)も行方不明という。

 我が家の親類でもある二丁谷地に住む千葉重義さん夫婦は行方不明 
 藤原要二さん
 同じ二丁谷地の那須野明さん、藤原益男さん家族は無事
 釜谷崎の鈴木嘉悦郎さん家族は全員無事。
 佐藤健児元町長さん家族、別家の佐藤剛さん家族も無事
 
 熊谷秋夫さんは出張中で無事。
 釜谷崎での犠牲者で私が聞いたのは鈴木達(とおる)さん、今野作男さん家族

 二丁谷地釜谷崎行人前大須地区の避難場所は橋浦小学校
 吉浜地区ははまぎく
 月浜地区は長観寺
 月浜に住む親類の佐々木茂美さん裕子さんは無事。

 追記
 吉浜
 今野正一さんトミコさん
 舘崎武さん
 千葉隆夫さん
 新田清男さん
 奥山利喜子さん
 越田こと千葉ケイ子さん夫婦は無事(支所の物産勤務のお嫁さんと風花ちゃん不明)
 月浜
 佐々木成幸さん
 
 

東日本大地震(津波)からの生還の記

 ブログ管理者のasiharaです。
 3月11日午後3時過ぎに発生した地震後津波によって、川に投げ出されたが、何とか九死に一生を得た。
この顛末については今後追々に記していきたい。
路上で気を失っていたところを、救助されて気が付くと北上中体育館の避難所であった。左足に裂傷があるということで、翌日、社協の車で日赤に運ばれ縫合、避難所に戻る。
 翌13日、追分温泉には橋浦診療所の医師が常駐しているという事で、父と共に追分温泉に移動する。追分温泉のある橋浦女川地区はまったく被害がないように見える。スムーズに到着する。
 懐かしい顔が沢山ある。行人前に住む従兄の倉本芳充さんの家族も全員無事で避難していた。二丁谷地の及川正昭さん家族も全員無事で、大変あ世話になった。
 14日夕方から発熱(37.8度)、追分温泉の横山社長がサンパークの救助本部に飛んで、救急車を要請してくれる。救急車内での血圧計見ていると93であった。
 日赤玄関の正面に設置されたテントの中で、化膿した傷口を切開、消毒。栃木県医師団であったと思うが、私の履いて履き物をみて、「追分温泉だ!」と叫んだ。泊ったことがあるのかも知れない。
 帰途は倉本さんの車で追分に戻る。
 その後は食欲も回復、血圧も120と安定してきてきた。
 16日には家内の遺体も確認できて、火葬に付す。手続きはすべて息子が済ませてくれた。月浜の北上総合支所で勤務中に被災した家内の遺体が自宅近くで発見されたそうで、家に戻りたかったのだろうと父と話す。
 母の遺体は依然として不明であったが、昨日23日午前息子から情報が入って、仙台の娘夫婦、郡山から避難中の家内の弟とその息子、家内の妹、私と父と揃って、石巻北高校飯野川校の体育館に出向く。父の判定では別人ということで、一応自宅の取り方付けに戻る。
 旧宅と納屋は完全に流失したが、新築した2階建の方は、2階部分だけ手つかずに残ったので、寝具類などを裏山の作業舎に保管する。
 そこへまた消防から連絡が入って、今度は間違いなさそうだという。自宅の直ぐ近くで発見され、発見者が「菖蒲田のおばあさんだ」と言ったそうである。
 飯野川校の安置所に戻って見ると、それは間違いなく養母であった。24日、息子が埋火葬許可の手続きをすることにする。確認された遺体は福地の体育館に安置されるということで、その後引き取りという段取りである。
 父は追分温泉に戻り、私は娘夫婦と共に仙台に向かう。
 ブログを再開したらという娘の話で、娘のパソコンを借りて記事を書いている。
 ヤフーの知恵袋に北上町情報が欲しいという書き込みがあるというので、確認。
 娘夫婦は出勤していったので、孫の夏音と遊びながらこの記事を書いている。
 これから市内に出て、ケータイ、眼鏡、補聴器、ネットブック、デジカメを確保して、ブログ再開を目指したい。26日位までは仙台に滞在する予定なので、ヤフー知恵袋にもログインできれば書き込みをしたい。
 神戸のTさんにも大変ご心配を掛けましたが、母と家内の意を挺しながら、地域復興のために微力を注ぎたいと思っています。ご指導ご鞭撻を宜しくお願い致します。

2011年3月 7日 (月)

ヤマザキショップ 上品の郷店 宝くじ販売

 今日の午後は 道の駅上品の郷 のコンビニ「ヤマザキ」ショップに設置する 両部鳥居の納入があって、いよいよ明日から鳥居に取り付けた 茅の輪 を通しての宝くじ販売が始まる。両部鳥居の製作は 有限会社 サトウハウジング、茅の輪の製作は我が家で担当させて頂いた。
 コンビニ ヤマザキショップの宝くじ売り場に茅の輪を設置して欲しいという注文は昨年暮れに申し受けたが、年が明けて本格的に検討に入った。茅の輪を設置するためには、どうしても鳥居を建ててそれに沿わせると言う形になる。コンビニのカンター上に据えるので、固定せずに安定させる方法として4脚の両部鳥居という形式を採用する。この近辺には両部鳥居の実物は見当たらないので、ソチコチ探してどうにか鳥居の詳細図を手に入れる。

 ただ単に宝くじ売り場に鳥居や茅の輪を設置するだけでは面白くないので、それに因んだ神社名と、宝くじ十訓を考えてみた。
 神社名については日本中どこにも無い神社ということで、アート特許商票事務所、宮城県神社庁にも伺いを立てて、差し支えの無い名称を提案する。。
 実は道の駅 上品の郷 の前方に聳え立つ 上品山には鎌倉の頃、 宝来山上品寺 があったと伝えられる故事から、宝の一字を拝借、また、恵比寿様のメデタイ鯛の釣り上げに因んで 宝釣神社とする。アート特許商票事務所からは商票登録も可能との返答であったが、さてどうするか

 上品の郷の宝くじ売り場を目にして第六感が働くというところからストーリーは始まる。
 ① ココデタカラツレソウダ
 ② 買わざるクジに当たり無し
 ③ 無理はせず夢を買うがヨシ
 ④ 継続は宝なり
 ⑤ 笑う門には福の神
 ⑥ 茅の輪を通して夢を買い
 ⑦ 茅の輪を通して夢当てる
 ⑧ 縁起ヨシの盾に入れ
 ⑨ 運気の強い場所にて三拝す
 ⑩ 外れクジも大切に(毎年9月2日宝くじの日に再抽選)

 これを蛇田に住む弟に話をすると、一通り読んで、運気の強い場所ってと質問があった。
 家の中で最も運気が強い場所、それは言わずと知れたトイレです。トイレには幸運の女神(ウズサマ明王様)が鎮座し、トイレを綺麗に掃除をする人は幸福になり、美人になり、病気をしないと信じられている。
 第一、宝くじを神棚にしまって毎日拝んでいたら、頭が変になったのではないかと疑われる。トイレの中なら百万遍拝んでも誰にも見られる事も笑われる事もないのである。
 この 宝釣神社 十訓 を記した、くじ保管の縁起ヨシの盾を10名様にプレゼントというオマケの企画まで提案させて頂き、いよいよ明日午前6時のコンビニ開店に合わせて、両部鳥居に御心をいれる神事が午前5時30分に執り行われる。私は勤務の関係で参列は出来ないが、勤務明けの午前10時迄には ヤマザキショップに行けるであろう。弟も早速買いに行ってみるという話で、或いは宝釣神社開創の記念写真が撮れるかも知れない。

ヤマザキショップ
         「かほく上品の郷店」
    コチラ
  営業時間 6:00~22:00

当店は、通常のコンビニと同様の品揃えに加え、道の駅のコンビニとして県外からお越しいただいたお客様にご満足いただけるよう、『東北』をテーマにしたお土産を多数取り揃えております。直売所でのお買い物のついでに、ちょっと変わったお土産屋さんにお立ち寄りください。
Photo

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 (鳥居の神社名は 有限会社 サトウハウジング の高橋工場長の手彫り製作です。)

追記 道の駅上品の郷 じょうぼんにっき

2011年3月 4日 (金)

北上町相川保育所完成

 今日の 石巻かほく 紙の記事から。
石工生設計、保育所が完成
2010.03.04
相川、雄勝の2施設
後輩が見学し感激/コチラ
Photo


市が若手技術者の育成支援の一環として、石巻工業高校に基本設計の委託をしたという事は、このブログでも
紹介している。
石巻工高 に夢託す2008年5月24日 (土)
 
 北上町相川地区の 相川保育所は、北上中学校に統合して廃校となった相川中学校跡地の高台に建設されたもので、津波などの災害の心配は無くなった。
 
 石巻工業高校の皆さんの活躍に益々期待が掛かってくることでしょう。
 明日にでも相川保育所に出向いて、写真をUPしたいと思う。

宮城県石巻工業高等学校
 石巻市貞山五丁目1-1
 TEL 0225-22-6338
http://ishiko.myswan.ne.jp/

石巻市北上 相川保育所・北上子育て支援センター
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 側に建つ 相川中学校閉校記念碑
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